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プレママのわたしが、ママになる道のりの中で思うこと



お腹の中に生命が宿るということは

こんなにも愛おしく感じるのだなあと

妊娠が分かってひしひしと感じている日々。


昨年末には愛犬:ヘンリーを飼い始めて、

ひとりで寝ずに寂しいというより苦しそうな声で

一晩泣き続けたり、

初めて出かけたドッグランでミニチュアシュナウザーの集団に

追いかけられて、犬嫌いになってしまったんではないかとヒヤヒヤしたり

家族が増えたことで大きな変化がたくさんあったけれど、

子どもが増えることで、さらにわたしたちの生活は大きく変化するのだろうなと

楽しみな部分がたくさんあります。


25歳と周りからすると割と早めに結婚をしたものの、

子育てよりバリバリ仕事がしたいと思っていた

今時?女子なわたしですが、

結婚してからの仕事は安定はしているものの、何か大きな遣り甲斐や

喜びを見つけ出せずにいて

仕事の関係者からは、「旦那さんに自由にさせてもらえていいね〜」とか

嫌味も言われたりして現実とのギャップに悩まされてもいました。


それでフリーランスになろうとして、それもなかなかうまくいかず

メンタル面でも不調をきたし、そして今。


妊娠がわかったとき、

もう肩肘張って無理に頑張らなくていいんだ。とホッとしたのは今でも忘れません。



子どもが生まれるまでは、毎回の妊婦健診でこの前のような不安要素がでることもあるけれど、

ベビーグッズを揃えたり、ベビーの名前を考えたり、

お腹に向かって話しかけてみたり、胎動を感じたりと子どもが生まれるというゴールに向かって

胸を躍らせながら過ごす日々で楽しい。


しかし本当は出産はゴールではなくスタート。


家族の話になりますが、わたしの家族は田舎の生まれにしてはそこそこ裕福ではあったものの、

夫婦仲がとても悪く、子どもの前で毎日怒鳴り散らす喧嘩ばかり。

母は自分のことばかりで子どもの気持ちに寄り添うなどということはなく

自分の希望を押し付け、プライドが高いがゆえに思い通りにならないと気が済まない教育ママ。

父は手を挙げることもしばしばあり、決して幸せな家庭だと思ったことはありませんでした。


そんな環境で育ったわたしが、果たして子どもに「自分は幸せだ」と思わせてあげられるような

子育てができるのであろうか。

育児ノイローゼで子どもをベランダから投げ落としてしまった事件、

度重なる暴力によって子どもが死亡してしまった事件、そんな悲しいニュースを聞くたびに

自分もそうなってしまってしまうんじゃないだろうかという恐怖に駆られます。


幸い、「父親に似ている人を相手に選ぶ」というのとは真逆で

わたしが結婚したのは、おそらく誰かに暴力など一度もふるったことはないんじゃなかろうかと思うほど温厚で

優しく、色白で中世的な見た目によらずここぞという時に頼りになる素敵な夫。

お風呂に入りながらよく変な歌を歌っているおちゃめな人でもあります(笑)


欠落していた愛情を感じることのできる今の生活があるからこそ、

過去を振り返らずに、幸せな未来を作っていかないといけません。




あ、しなければならない、は自分を縛り付けるからダメね。




答えはないけれど夫のようなのびのびとした子どもに育てたいな。