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ゆめのなか

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気づけば、相方はすでに就寝してしまい、

真っ白く塗られたリビングに一人でこうしてMac Bookとにらめっこをしている。

 

一通りFacebooktwitterを流し読みして、興味のある投稿には”いいね!”をつけ、ぼんやりと記事を眺める。

いつから、こんなにも無意識にSNSを閲覧するのが当たりまえになったのだろうか。今では情報収集源の半数がSNSである気がする。

SNSの情報が半数ということは、ある程度の情報を信用しなくなるということに繋がる。

 

そもそも、ネットに並べ立てられた言葉は信用していない。同一プラットフォームに匿名の悪意ある書き込みや、情報操作された言葉が並べられていることが多いからだ。だからと言って、週に1度ほど見る地上波のニュースやワイドショーも同じように信用していはいない。

じゃあ、何を信用しているのか。といえば、自分の感情である。

自分でニュースを見て、酷く気を害した事件については、自分なりの意見を持とうとするし、共感した、と思えば言葉を発信することもある。

 

情報を取捨選択しなければならない現代は、酷だ。

流し聞きすると、周囲から取り残された気分になるし、自分の意見を述べれば見えない敵に葬られる。

 

正とは何なのか。